1998年 編集長 竹生の旅行記(Dig-it Zine掲載)

1998年、アメリカのコンテストを転戦していた編集長の、最初の旅行記です。

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竹生 泰之のアメリカ漫遊記

1 挑戦

 前回の旅行から1年、大学も卒業だし、この先どうせBMXを続けるなら、とことんまでやろうと、X-GAMEの予選であるX-TRIALを回って、カリフォルニアでバケーションという計画を立てたのは、前回の旅から帰って、2~3カ月程経ったころだった。 ところが時は卒論準備の真っ只中。それでもコンピューターにかじりつきっぱなしという利点を生かして、卒論を書く間を縫ってインターネットで大会の日程、その他の様々な情報を収集した。
 今回は長丁場ということで、宿泊所はユースホステルに決め、前回のデーターから、必要経費を試算したところ、$3600前後で収まる、と言うことが分かった。金がなんとかなるなら、なんとかなる、ということを、前回の旅で体感していたので、金だけは1年間かけて、コツコツと貯めていたら、気がついたら100万以上になっていた。おかげで卒論準備、バイト、練習、と、息つく暇もないほど忙しい1年だったが、この時は、自分の堅実な性格に感謝した。
 前は金もあって、友達もいたけれど、今回は、バイト先の主人の話で、一人で行くほうが、得られるものが大きいと言われ、勇気を奮い立たせて、1人旅ということにした。
 準備の方も、前回の経験を存分に生かしてスムースに進み、北米大陸4都市周遊のデルタ航空の券を¥80,000で入手。虎の子の100万は、$7700(当時のレートは$1が約¥129。安い・・・)になった。
 全ての準備が着々と整って行く中、精神的には、自活、一人旅という不安で、なんとか大学を卒業出来た喜びもそこそこに、1週間前からロクに眠れない毎日が続いた。特に一人旅という不安はかなり大きいものだった。
 そうこうしつつも時は確実に流れ、アッと言う間に出発当日。観念して成田へ。そうしたら、自転車に特別料金が掛かるいうことで、いきなり$70もとられ、のっけからイヤーンな感じのスタート。
 でも、飛行機に乗ればそんな些細なことは、不安に塗りつぶされて行く。飛行機は、格安券の性で、ポートランド、アトランタ経由の2回乗り継ぎ。乗り換える度に、日本人は減り、飛行機の大きさも小さくなり、アトランタを出る頃には、日本人は僕1人になった。 そんな僕の不安をよそに、飛行機は飛び続け、機内食が出続けた。移動すること18時間。現地時間の夜11時にフロリダのタンパ国際空港に到着。そして、いきなり今回の旅最大の試練が待っていたのだった。

2 デビュー戦

 タンパ国際空港についた頃には、考え過ぎと、座りっぱなしから疲労困憊。しかも到着したのは11時を回ったところで、泊まろうと思っていたホステルのオフィスアワーが過ぎており、空港で一泊することになってしまった。
 まずは腹ごしらえ、と言うことで、24時間営業のデリ(サンドイッチとか売ってる所。)でサンドイッチを買ったら、$5も出したのに、死ぬほどマズイ。それでもなんとか腹は満たされた。
 夜も長いことだし、とりあえず、予定しているユースホステルに行くのに、リムジン(アメリカでは乗合バスのことをリムジン、又はシャトルと言う。)が必要なので、その予約に行くことにした。そこで初めて外に出たのだけれど、非常に蒸し暑い。ちょうど初夏の日本位。で、空港内の案内図を見て、リムジンの受付を見つけたまではよかったけど、今度は僕の英語力が至らず、受付のにーちゃんに言いたいことが通じない。すったもんだしている内に、幸運なことに、そのニーチャンの彼女が日本人ということが判明。彼女に電話で通訳してもらって、次の日の9時にここに来い、ということになった。

 それから10時間近く、空港内のベンチに陣取って、寝るにも寝れず、アメリカ第一日目を迎えた。
 まァ次の日は休みで、明後日が本番だから、とお気楽な気分でリムジンに乗ってユースホステルへ。ホステルに行く間、フロリダ、と聞いてもっと南国っぽいイメージを抱いていたけど、別にどうってことはない、普通の都会、という感じで、前回のハンチントンビーチの方がよっぽど南国っぽかった。途中、ちょっとした半島から橋が出ているのだが、それが片側5車線くらいで、瀬戸大橋の様だけど、スケールが違う。アメリカって国はデカイんだなァ、と何に気に思った。しかもそんなにデカイのに無料だし。

 30分くらいでホステルに着くと、そこは立派なホテル。間違いじゃねーか、と住所を確認してみても、やっぱりあってる。その時、20m位離れたところの交差点で、黒人と白人のBMXerが信号待ちしているのが目に入った。慌てて駆け寄って行って、X-TRIALに行くのかと聞くと、そうだ、と言う。俺も一緒に連れてってくれ、というと、いいけど、今すぐに行くから、ということで、彼に頼んで、ホステルのデスクに事情を説明して貰うことにした。話はすぐについて、チェックインは後にして、とりあえず荷物をホステル内に置かせて貰えることになった。
 ほっとしている間も無く、大急ぎで自転車を組み立て、その間に彼らに自己紹介と、名前を聞いた。黒人の彼はロビン、白人の方はボブといい、2人でカリフォルニアのサンディエゴから飛行機でやって来た、と言っていた。彼らが組み立てを手伝ってくれたこともあって、瞬く間に自転車は組み上がり、X-TRIALの会場へ。
 その道中、色々話を聞くと、大会の日程は4月17日からとなっているけど、スタントボーイは16日に予選、決勝全部やってしまうということ、どっちにしろ、レジストレーションは日程の前日に行われるということを、そこで初めて知った。ホフマンのホームページにもそんなことはどこにも書いてなかったし、もっと詳しく調べなかった僕も悪いけど、あそこでロビン達に会わなかったら・・・と、考えただけでもゾッとした。ロビンに手伝ってもらって、無事レジストレーションを済まして、ホステルにとんぼ返り。
 
そのホステルはマッカーシーホテルと言って、70年位歴史があるホテルらしい。ホテルがホステルも兼用しているところらしく、部屋は相部屋ではなく、ダブルの個室だった。宿泊費が心配で尋ねてみると、1泊税込みで約$14ちょっと。流石に最低の部屋らしくて、クーラーは機械が剥き出し、それでも一応タンスもあって、小綺麗な部屋で安心した。しかし、後々それを後悔することになる。
 フロントで2週間分の宿泊費$200を払って、会場へ。体調は最悪。一旦帰って寝る事も考えたけど、この状態じゃ、一旦寝たら、夕方の本番に起きられる自信がなかったので、仕方なく、ボーッとする頭と、ヘロヘロの体にムチ打って、会場に留まることにした。

3 本物だ!

 X-TRIALの会場はホステルから5分位の所にある。会場に近づくにつれ、大音量の音楽が聞こえて来た。会場はピア(桟橋。1つのビーチには、必ず1つのピアがある。)の駐車場にあり、なんでもここセントピータースバーグのピアは、結構有名らしく、ピアの先っぽに5階建て位の大きさのショッピングセンターは、木曜日というのに多くの人で賑わっていた。
 会場に入って、真っすぐフラットの会場へ。その日はまだ前日ということもあってか、観客も、通りすがりの人ばかりで、ライダーの方が多いくらい。見ると、いるわいるわ、アンドリュー フェアリス、ジェイソン ブラウン、マーティ クオッパ、チャド ディグルート・・・有名所が勢揃い。みんな狭いフラットの敷地のなかでぶつかりもせず乗っているのが凄く印象的だった。それまでヘロヘロだった筈の僕は、気がついたら目がギンギンになって、みんなのライディングに釘付け。
 ちょっと落ち着いて回りが見渡せるようになってくると、ストリートコースが、新しい舗装の上に、X-TRIALの字が鮮やかにプリントされており、特設観客席が設置されているのに対して、フラットの会場は、狭い敷地を壁で囲んで、しかも地面はヒビ割れだらけの、真ん中に大穴のおまけ付き。最悪の環境。しかも何故か小さなクォーターランプが置いてある。
 そんな環境でも、アンドリューとトレバーは別格だった。特にトレバーのリカバリーはほれぼれする程素晴らしかった。バランスを崩しても、ホッピング、スカッフィング、あらゆる方法を用いて、動きを修正してしまう。フラットではなく、トライアルをみているような感じ。たとえ割れ目に引っ掛かっても、誰かとぶつかっても、コンボを続けている。(みんなヤバイ、と思ったら避けるのに、トレバーだけは、絶対に自分から避けない。だから嫌われちゃうんじゃない?)
 アンドリューは、動きの予測が早いように思えた。自転車が反応する前に既にリカバリーの動きを起こしていたり、バランスを感じてから車体を動かすのではなくて、ここ、ここ、と分かり切った、読み切った動きをしていた。他のライダー達を見ても、多かれ少なかれそうなんだけど、アンドリューの場合、敢えてそれを口にしたい位ワンテンポ早い。 そして、2人に共通するのは、非常に足首が柔らかい。常にかかとが落ちているし、スカッフィングも滑らかで、少しのブレなら、ブレーキを使わないで、スカッフィングのスピードでコントールしてしまう。結果として、動き全体としては非常に運動量が多いにも拘わらず、非常にコンパクトに、落ち着いて見えた。
 他のプロライダーもさすが。自分の持ち技はしっかり決めている。後で自分がそこで乗って、その凄さが実感できるのであった。
 この日のみんなの練習を見た限りでは、アンドリューが絶好調だった。後ろに進みながら、片手で車体をグルグル回して、ヒッチハイカーに何度も持って行くというコンボ、ハーフパッカーから、バックヤードホイップの様にグリッと車体を前に持って来てクロスフットヒッチハイカーに入ったり、プロップスでも見れる、まるでロデオをやっているようなファイアーハイドラントからデストラックに入るコンボ、など。特にこのコンボは、ビデオで見られるより、1.5倍位速いスピードで決めており、しかも、練習中から、全く足を着かなかった。

 見ていて1番楽しいのはなんといってもマーティ。常にギリギリのバランスでトリックを決めているのに、集中力が落ちない。天性のバランス感覚を感じた。トリックも遊びの感覚がふんだんに取り込まれ、BMXに乗っているのが本当に楽しそう。ネイサン(ネイザン ペノンゼック)と仲がいいらしく、いつも2人一緒だった。
 彼のライディングはスリリングということに尽きる。あらゆる体勢からバーフリップを入れるし、ノーハンドペダルローリングローンモアは、何度見ても息を飲む。
 何より、ヒッチハイカーの応用を、アンドリューとはまた違った次元で昇華させたと言う点において、彼は革命児であり、瞬く間にトレンドセッターとしての立場を確立しているのを見て取れた。何故なら、そのアンドリューを含めて、みんなマーティのアイディアを自分のトリックに取り入れようとしていたからだ。
 日も落ちて、影が長くなって来た頃、先ずはプロフラットの予選が始まった。予想どおり、アンドリューが絶好調で、ノーミスで1位で予選通過。で、チャド、トレバー、デイ、ショーン ピータース・・・と8人位までは順調にいったのだが、その後が大変。ゲイブ、パット アンダーソン、ディラン ウォースリー、ショーン ボーナムの4人が4つ巴になって最後の1つの枠を巡って壮絶な戦になった。1人が90秒ずつで、3巡目位回った所で2Hipのショーン ボーナムが脱落。そして更に2巡ほどして、結局、ゲイブに決まった。

 その熱気も冷めやらぬまま、終にスタントボーイ フラットの公式練習が始まった。総勢17人。そんでもってみんな上手い!中にはスポンサードライダーもいたし、あー予選で終わったかなーと思いつつ、乗るスペースが狭いのと、疲れていたこともあって、ロクに練習も出来ず、予選が始まってしまった。
 自分の番が回って来て、不思議と緊張はしなかったけど、やっぱり、2日間寝れて無いのが効いて、殆ど技も決まらず、他のライダーがバシバシトリックを決めて行くのを横目に、あきらめの気持ちも半分に、ボーッとしていた。
 予選はあっという間に終わり、予選通過者が読み上げられて行くと、自分の名前も呼ばれた!聞き間違えかな、と思って、ジャッジに確認に行くと、やっぱり予選を通ってる!俄然元気が出て来た僕は、決勝で、調子が悪いなりに、出来る可能性のあるトリックは全て出し尽くした。そうした攻めの姿勢がよかったのか、予選とは打って変わってメイク率がアップ。まァまァのランだったが、この時の調子を考えると、最高の出来だった、と思う。
 自分のランが終わって、地面にヘタりこんだ僕は、あー思い残すことは無い、やるだけやった、と思って、結果発表を待った。
 結果は4位!慌て過ぎて、4位なのに、アナウンスを聞き間違えて、3位になったと思い込んで、トロフィーを貰えると思ってポディウムに行ってしまった。
 そしたらマット(ホフマン)に、残念だけど4位にはトロフィーは無いんだよ、と言われてしまった。ちょっと恥ずかしかった。
 人生で最も長かった1日は、思いがけない結果に終わった。ホステルに帰って、夜、ホステルの隣にあるキューバ料理の店で、一人祝杯を挙げた。そして次の日、サンシェードクリームを塗っていなかったために、頭の皮が全部剥ける事態に。これにはまいった。フロリダの日差しを甘く見ていた。本当にここの日差しは強い。日本の盛夏の1.5倍、いやもっとか。外を出歩く時は飲み物と、サンシェードクリームが欠かせない。会場でも、スポンサーのマウテンデューが、観客にタダでマウテンデューを配っていた。

 自分の決勝の次の日、いよいよ大会1日目が始まった。ヒリヒリする頭を抱えて会場に。前日とはうってかわって、朝9時、というのに凄い人出。ストリートコースの観客席は既に満員で、会場内もウザイくらい人がいる。でも悲しいかな、フラットの会場には足を運ぶ人は少なく、簡単に最前列に陣取れた。
 決勝は11時からというのに、ファイナリスト達は既に勢揃いしていて、みんな最後の調整に余念がない。理由はすぐに分かった。本番1時間位前になると、ESPNのインタビュアーがライダーを取っ捕まえてインタビューしていたり、機材を着々と会場内に持ち込んでセッティングを始め、練習ができない、ということだった。
 そして決勝が始まった。自分の番になると、ホフマンの前にいってキューが出されるのを待つのだが、みんな自分のタイミングで乗れないのと、カメラが下からアップを撮ったり、とかなりウザがっていた。
 僕のイチ押しだったアンドリューは、1本目、ノーミスで、難易度、スムースさと、文句のつけようのないライディングだったが、2本目、ハング5で、ネイサン ハンセンとかがやっているバーフリップを、速いスピードで、しかもノーブレーキでやろうとして決まらず、4位に沈んだ。練習では何事もなく決めていたのに、これは意外だった。
 3位はデイ。彼はいつも通り、名前がコールされてから会場入りして、いつも通りのライディングをみせていたが、突然リアブレーキワイヤーが切れて、ジャッジに何か言っていたが、すぐに、切れたままの状態でライディングを続行。
 そこで誰もがフロントのみでトリックをすると思いきや、リアのトリックを連発。でもやっぱり結構足をついてしまって、5位か6位くらいか、と思っていたが、迷わずすぐに自分のランを再開したのには、観客を含めた、会場のみんなに好印象を与えたし、しかも、弱気にならずに敢えてリアで、トリックに挑戦した、という攻撃的なライディングが評価されたのか、3位。
 2位はトレバー。内回りのバックヤードから内回りのカブース等の、彼にとっては、易しめのコンボを組んで来たが、なんか調子が悪く、2、3回足をついてしまって、2位でもかなり甘目のジャッジと見た。
 そして1位は、チャド。久しぶりの優勝。彼のランは笑いを誘う。必ずランの最初と最後に、バニーホップバースピンをいれないと気が済まないらしい。ライディング自体は、それほど凄いことをやっている思えなかったし、殆ど1、2年前からやっている類いのトリックで固めて来たので、上位に来ることは間違いないと思っていたけれど、まさか勝つとは思っていなかった。
 でも、今回のジャッジは、観客の反応にかなり左右されていたように思える。僕のランの時も、決勝で、2、3個しかトリックが決まらなかったにも拘わらず、4位になったのも、僕のトリックのメインは、シロウト受けするスピントリックだったので、観客が凄く沸いて、多分、決勝の中で一番沸いたんじゃないだろうか。それが大きく影響したフシがあった。
 それもそれでいいのかもしれないけど、公正さ、という基準を何か決めないと、プロは大金がかかっているだけに、どっかで軋轢が生じて来るのではないかと少し懸念した。
 スキーのモーグルや、スノーボードのように、技数が少ないものなら、まだそのような見方も許されるだろう。しかし、それより少し複雑に見えるフィギュアスケートでさえ、規定、自由、のような枠を設けることで、常に問題が生じているのに、BMXフリースタイル、その中でも、フラットは無限ともいえるコンボ、トリックが存在し、それに対してフィギュアスケートのような考えを当てはめようとしても、それは不可能である以前に、フラット自体を否定しているのに等しい。
 フラット以外は、あんまり見なかったので、見たところだけ書く。ストリートは練習中が盛り上がっていた。ライアン ナイクイストがバースピンバックフリップを決め、ルービン アルカントラが、コース中央のボックスで、何度もダブルテイルウイップに挑戦し、10回位挑戦しただろうか。終にそれを決めて、観客も盛り上がって、他のライダー達もルービンのもとに駆け寄って、肩をたたいたりしていた。その後も、360°ダブルテイルウイップに挑戦したりしていたが、流石にそれは決められなかった。
 決勝ではデイブ ミラが、流れるようにコースを縦横無尽に走り回り、ジェイがボックスでスーパーマンテイルウイップ等の大技を中心に大いに観客を沸かせた。結果はジェイの勝ち。
 バートはDMC、ジェイ、デイブの三つ巴の戦いとなった。DMCはフレアーからそのままバックフリップフェイキーに行ったけど、決められず。ジェイは復帰戦とあって、そんなに無理をしてないように思えた。デイブはストリートの鬱憤を晴らすかのようにアグレッシブに攻め、全部のランをノンストップでこなし、文句なしの1位。
 バートはよく分からないけど、トップライダーが何で高く飛び続けられるのか分かった。彼らはどんなに凄い技を決めても、ランプの非常に高い位置に着地するので、スピードが落ちない。流石にフレアーとかの後は着地位置が低くなるけど、540°や、テイルウイップからランプに降りて来るときは、殆どコーピングに当たりそう、たまに『コチーン』と当たっている音がする。日本で本格的なバーティカルのライディングを見たことがなかったし、比較は出来ないけど、とにかくシロウト目に、それが印象的だった。

4 メジャーになっていく代償、それでも変わらないもの。

 緒戦が終わって、自分の目で全てを見て、RIDE BMXで、ESPNのフラットに対する扱いの悪さが色々取り沙汰されているが、その問題の根深さが伺えた。これはちょっと所の騒ぎじゃない、と思った。ほとんど嫌がらせに等しい。
 スタントボーイのフラットなんか、レストランとかに置いてある、一般向けのX-TRIALのパンフレットを見ても、日程にすら組み込まれていない。
 大会中、何人かのローカルフラットライダーにあったけど、地元フロリダに住んでいる彼らですらその事を知らず、見逃した、アマチュアが見たかったのに、と悔しそうな顔をしていたのが忘れられない。
 プロであるスタントマンのフラットでさえ、朝に決勝が組まれ、人もあんまり見にこないし、決勝が済んだら、その場でポイッとトロフィーを渡されておしまい。
 その味気無さ、機械的な進行は、大会全てにもあてはまる。大会の日程が始まると、黄色いT-シャツを着たセキュリティーがそこらじゅうに現れ、会場内では自転車が乗れなくなる。スケボーも、インラインもそう。
 ストリートコースにおいてもそれが見られた。プロストリートの練習で、50人位いたと思ったが、コースが狭いため、5人ずつ位に組分けされて、それぞれが10分位ずつしか乗れない。GONZとか、DMC、ブッチャーとかは、時間が終わっても、ずーっとコースを占領していて、スティーブ スウォープが、『頼むから、コースから出てくれ』といい続けたが、誰も聞いてない。
 ちょうどその時、偶然だと思うが、ライダーに時間を知らせるための大きな時計が、クオーターのデッキ上に置いてあったのだが、何回か、スティーブがアナウンスした後、そこのデッキにDMCがマニュアルしにいって、その時計にぶつかって倒してしまった。その瞬間、コースにいたライダー全員が『ウオーッ』と叫んで、ESPNに対する抗議の意志を示した。でもDMC当人には別にそんな気はなかったらしく、きまり悪そうに、デッキ上から、審判席のホフマンのメンバーや、ESPNの人達に謝っていたけれど・・・。
 次の日にも、こういうことがあった。その日はプロストリートファイナルで、決勝前の練習で、ジェイ(ミロン)がコース上にいて、コースの真ん中にある、1番高いクオーターのデッキにマニュアルで乗ろうとしていた。けど、スペースがギリギリみたいで、何度も足をついていて、5回か6回位挑戦したところで、クオーターのフェンスに掛かっていたスポンサーの看板に、フロントタイヤが引っ掛かって失敗した。
 何回も失敗していたことで頭にきていたのもあったんだろうけど、やおら自転車を降りて、その看板を引っ剥がして、コース外に投げ捨てた。それでも怒りが収まらないのか、看板の掛かっていたフェンスにケリをいれて、グンニャリ曲げてしまった。
 その後が大変。練習は中断され、ESPNのお偉方、セキュリティーが慌ててジェイの元に駆け寄って行って、何やらお説教を始めた。何かごちゃごちゃ言っているみたいだったけど、ジェイは完全にキレていて、今にもそいつらに殴りかかりそうで、遠くから見ていてもヒヤヒヤした。
 2~3分後、ホフマンも中に入って、お互いを説得したのか、ESPNのスタッフとセキュリティーは、やっとジェイを解放したのだが、それでもまだ怒りの収まらないジェイは、ヘルメットを荒っぽく掴むと、悪態をつきながら、そのままコースから出て行ってしまった。その間にも他のライダーはチャンスとばかりに勝手に乗り出すし、とにかく、みんながESPNの統制を嫌っているのは一目瞭然だった。
 プロライダーは金のために大会に来るし、オーガナイザーも金にするには、大衆の支持が必要、それには競技者たちにお行儀よくしていてもらわないと、と金を間に挟んで双方の要求、価値観が真っ二つ分かれてる。それでも、ホフマンも、他のライダー達も、方向性は違ってもBMXの世界を発展させて行きたいと思っている訳で、互いが非常に微妙な、複雑なバランスの上で、攻めぎあっているのを目の当たりにして、現在のBMXが抱えている問題の大きさ、複雑さを知った次第。

5 フロリダの生活

 よかったことも沢山あった。大会で決勝までいって、結果を残した後、みんなが祝福に来てくれた。『惜しかったね』とか、『お前のスピン凄いな』とか。それまで結構ピリピリした空気が、会場を支配していたのに、大会が終わった瞬間、友達に戻れる、なれる、というのがいいな、と思った。
 その前にも、会場内で乗れなかったので、乗るところを探してピアに行ったら、マーティ、ネイサン(ペノンゼック)が乗っていて、一緒に乗っていたら、その時は英語があまり喋れなかったけれど、仲良くなれた。それまでは、顔を合わせても、挨拶もしなかった奴らばっかだったのに、BMXに乗っている奴らは、BMXを通して分かり会えるというところがあるんだと思った。日本の大会にも出たことが無い僕は、この時初めて、大会の良さ、というものを実感した。
 それと、スタントボーイの決勝が終わった次の日、スタントマンのフラットの練習を見に行って、しばらくボーッとみていたら、10歳くらいの子が来て、サインをくれ、と言う。本当に俺のサインでいいの?と聞くと、そうだ、と言うので、とりあえずサインをしてあげた。
 慣れないサインを書き終わって、何で俺なの?と聞くと、前の日の決勝で僕のライディングを見て、凄く気に入った、と言う。アマチュアで、しかも4位だった僕なんかでも、ファンが出来た、この子を感動させられたのかな、と思って、すごく嬉しかった。4位という結果より嬉しかった。
 大会が終わっても、もう1週間セントピータースバーグに留まる予定だったので、大会が終わった後も、会場がどう片付けられるのか、毎日見に行った。
 観客席は、自走出来るようになっていて、折り畳まれて運ばれて行った。ランプ系の機材は、表板だけ引っ剥がして捨てられて、骨組みは、トレーラー4台に綺麗に積み込まれ、再利用されるようだった。ストリートコースの舗装はそのまま残っていて、片付けが一段落した所を見計らって、X-TRIALの文字の上でちょっと乗って、雰囲気を味わった。 片付けている人達には、ライダーも交じっていて(腕にX-TRIALのエントリーバンドを巻いたままだった。)思ったより若い人達がバラしていた。大会自体は、年々大きくなっているみたいだけど、こういうところに、手作りの雰囲気が残っていたんだな、となんかホノボノしてしまった。
 大会が終わってからは結構ツライ日々が始まった。ホステルといっても個室。しかもフロントの奴らは感じが悪く、喋る人といえば、毎朝朝食を食べに行く、ホステルの隣にある、コーヒーショップの店員さんくらい。ひたすら毎日チャリに乗って、日本に手紙を書きまくって、それでも、1日の殆どを誰とも喋れない、勿論日本語も喋れない、ということで、精神的にかなり追い詰められていた。今考えると、このフロリダの滞在の時が一番辛かったと思う。それでもまだ次の大会がある、と、BMXが生活の支えになっていたので、耐えられたと思う。
 それを抜きにすれば、非常に立地条件はいい。郵便局、デリ、レストランは歩いて3分以内。スーパーはちょっと遠かったけど、この時は、キッチンが無くて、自炊ができなかったから、全然困らなかった。でもその代わりに、毎日の出費はかなり多かった。

6 バージニアの生活

 そんなツライ日々だったが、時間は確実に過ぎて、フロリダを発つ日が来た。ここでも飛行機に乗る時に、航空会社の人に、今度は$60かかる、と言われた。まだヒアリングが出来ていなかったので、ちょっと手間取っていたら、チェックカウンターの責任者らしき人が来て、『X-TRIALに出たのか?』と聞かれたので、そうだ、というと、なんか小声で相談して、払わないでOKということになった。
 ホッとして、1時間のフライトでアトランタに着き、乗り換えて、更に1時間ちょっとでバージニア州ノーフォーク国際空港へ。着陸するときに下を見ると、緑、緑、緑・・・緑に囲まれた凄く自然に恵まれた所だな、というのが第一印象。前回と違って、入国審査が無い分、スムースに手続きを終えて空港の外へ。ここは、フロリダのタンパ国際空港より小振りの空港だが、回りの緑に上手く溶け込んでいて、美しい空港だった。
 どこの空港にいっても、アメリカの交通システムは一緒ということがここで分かった。ここでもフロリダのやり方を踏襲して、リムジンを捕まえ、リムジンというよりタクシーみたいな普通の乗用車で、30分のドライブ。飛行機から見た通り、高速道路も、森の中を縫って走っている。
 そうして、第2戦の舞台、バージニアビーチに。日本を出る前に作った計画書の中に、ホステルの住所と地図を印刷しておいたので、これが今回凄く役に立った。リムジンのドライバーにこれを渡して、スムースにホステルに。 
 ここバージニアビーチは、海岸線にホテルの立ち並ぶ、本格的な観光地だった。道行く人々も、フロリダがちょっちヤバメの人と、観光者の混合だったのと比べて、ここはかなりリッチな人ばかりで、少しお高くとまった感じ。
 肝心のホステルは、日本で、イメージとして持っていたホステル、と言う感じのこじんまりした、小綺麗なホステル。『アンジーズゲストコテージ』という名前で、到着すると偶然に、フロントの人が出て来た。今度はいい人そう、というのが第1印象だった。
 その人、ボブさんは、イングランド出身のアメリカ人。でも、イングランド訛りがあって、プツッ、プツッという感じで喋るので、最初は何で言っているのか分からなかったけど、毎日喋っているうちに、よく使う言葉は分かるようになって来た。
 そしてここで本当のホステルがどういうものなのかを知った。フロリダのホステルは、ホステリングインターナショナル(世界最大のホステル協会)ではなく、他の小さな協会に所属していたらしく、ここで手に入れたホステリングインターナショナル加入の全ホステルが載っている本を読んだら、ホステリングインターナショナルでは、定期的に、加入ホステルが、基準を満たしているか検査が入るため、ホステルのように安い宿泊施設なのにランク付けがあるらしい。
 ここで多くの人に出会った。18歳で、2歳の子持のクリス、その上司のトム。いつも練習に行っていた、駐車場の目の前にあるアパートに住んでいる12歳のジョーダン、彼は英語をよく教えてくれた。デンズデールというでっかい犬と旅をしているジャック。不愛想だけど、いつもピンポンに誘ってくるポール。隣のモーテルで働いていて、仕事が終わると、このホステルに来て、ポーチでいつも喋ったダアジィ。寝ているときにいつも屁をこくビンセント。ここまでヒッチハイクで来て、またフラッとフロリダまでヒッチハイクしに行ってしまったブライアン。ニュージャージーから週末を過ごしに来て、先生になりたいというエドとアイラ。彼らとは夜遅くまで、日本とアメリカの文化の違いを語りあった。今もE-MAILでやりとりをしたりしている。
 そして、ここでやっと日本人にあった。佐藤さんといって、シカゴの英語学校に行っていて、学校が終わって、学校で知り合った友達を尋ねてここバージニアビーチに来た、と言っていた。それまで冗談抜きに、3週間全く日本語を喋らなかったので、話しかけるときに、こんなに簡単に喋っていいのか?と思ってしまった。
 ここで初めて親に電話したんだけど、その時も、英語もまともに喋れないクセして、ちょっと考えながら日本語を喋っていた。人間の適応能力の凄さというものを、ここで実感した。もし、このまま残りの何カ月かを、日本語を喋らずに過ごしていたら、もっと英語の上達が早くなっていたかもしれない。
 ホステル自体は、本当に簡易宿泊所、という感じで、誰かが来ても、昼間はみんな観光に出て行っちゃう。本当に孤独だったフロリダよりマシだけど。一応キッチンはあるけど、電気コンロで、しかも温めることしか出来ない。(炒め物禁止とキッチンに張り紙がしてある。)
 結局ここでも買い食い生活ということになった。まだスーパーがあったから、夜飯は、そこで買ったバナナでちょっと節約。1パウンド29¢。1週間分買っても$1ちょっと。朝飯は近くのコーヒーショップでマフィンと、ホステルの目の前にある7-11で買った持参の牛乳。アメリカで初めてコーヒーショップというものに行ったけれど、みんな高い金出してコーヒーを買いにくるだけあって、たまに飲んだりしたけど、どれもかなり美味い。昼間はボブさんに聞いたレストランで普通に食って、たまに日本食レストランに行ったりして、結構リッチな生活。でもさすがに天ぷらウドンが$10近くするのは高いと思った。日本でも7~800円位だし。$5~6ってとこ?
 ここの気候はカリフォルニアに似ていて、日差しは強いけど、カラッとしていて、でも夜になると寒い。雨が降ったりすると、ジャンパーがいる位寒い。しかも、大会が近づくにつれて天候が悪化して、毎日サンダーストーム(雷雨)が来て、最悪だった。大会中も突然の雨で、何度も中断したし。天候に祟られた滞在となった。

7 屈辱の大会

 ここバージニアビーチには、大会の1週間前に着いたので、前回の片付けに続いて、今度は会場作りも見ることが出来た。今回は、大きな公営駐車場に会場が設営され、そこで、ランプ等を組み立てているのは、バラしていた時と違って、30代~40代のオジサンたち。コースのレイアウトをするのに、コースを囲っているデッキが最初に鉄パイプで組まれ、それから、そこに例のランプの骨組みが取り付けられ、表板が張り付けられていった。前回は赤が基調だったが、今度は緑に塗られていた。
 最後までかかっていたのがバーティカルランプ。大会初日も、まだガリガリやっていた。それなのに、地元の新聞には、今回のバーティカルは最悪だった、とジェイや、スケートボードのアンディ マクドナルドのコメントが載っていた。大会当日までかかって、何を調整していたんだろう、と呆れた。
 大会前日、エントリーに行くと懐かしい顔が。ケリー(ガット)と再会。今何してんの?と聞くと、ノースカロライナの友達の家に住んでる、との事。今回は出るの?と聞くと、今回はジャッジで来た、と言う。みんなとは今回顔見知りになったので、誰かが練習していると前は入りにくかったフラットの敷地内に。マーティは朝早くから来て練習していたらしい。しばらくして、ネイサンとフリーの果物を取りに行って、マーティはやっぱりバナナを取って来た。
 今回のフラットの会場も、前回のヒドさに引き続き、会場の、駐車場の端っこに設営されていた。おかげで、かなりの傾斜があって、グライド系のライダーは苦戦しそうだった。ただ一人、マーティを除いて。
 練習を見ていたら、今回はマーティが絶好調!ワンフットヒッチハイカー(!!!!)からサークルKとか、ノーフットスチームローラーとか、文章で書いても、想像も出来ないようなトリックに挑戦して、しかも決めていた!さすがに成功率は低いけれども、それは問題ではない。
 それに引き換え、アンドリューは絶不調で、コンボはおろか、単発のトリックすら満足に決められていなかった。それでも、前回の練習と比べると、ということであって、練習していく内に、少しずつ調子を上げて来ているみたいだった。さすがショーライダー。それにしても、前回にも増して、マーティのマネをしているライダーが多かった。フィル ドラン、ライオネル カルドソ、等。マーティ恐るべし。
 フロリダの大会では、初めての大会ということもあって、あまり大会の雰囲気を味わう余裕が無かったけど、今回は、思いっきりミーハーになって、写真を撮りまくったり、話しかけまくったりした。
 今回、チャドに話しかけるチャンスがあって、日本から帰って来たばかりだ、ということと、日本の印象を語ってくれたけど、英語力が至らず、よく分かんなかった。それでもちょっと疲れ気味だったみたいなのは分かった。
 マーティからは、チキータバナナから、$5000位貰っているらしいことを聞いた。その時僕が、コンバースのトレーナーとUGPのショーツをはいていたら、マーティも一緒で、おそろいじゃーん、と言ってた。そんなこんなやっている内に、雲行きが怪しくなって、雨が降って来たので、その日はそれでホステルに帰った。
 次の日、フラットスタントマン予選当日。いつものようにコーヒーショップに行こうと、毎日練習している駐車場を横切ろうとすると、誰か練習している。チャドだ!前の日に話しかけてたから、顔を覚えているかなーと勇気を出して、挨拶したら、覚えていてくれて、今日頑張ってね、と言って別れた。
 スタントマンフラット予選には総勢32人がエントリーした。中には、スタントボーイでも予選落ちしそうな奴もいたけど、なんにしろ激戦。ショーン ピータース、スコット パウエル、キース キング、ブライアン ターニー等の中堅メンバーが揃って予選落ち。決勝はメモを取ってみたので、印象深かった出来事を書いてみる。
 前回は気がつかなかったが、マットがキューを出すのだが、時計が動き出すのは、ライディングと同時だった。
 まずは1本目。ジェイソン ブラウン。彼は時間を読み切ったコンボで、トリックが終わると同時に、終了のブザー。トリックには新しい試みは無かった。全てフロントのトリック。
 フィル ドラン。スタートで、マットの近くに行って、キューを待つのをかなり嫌がっていた。彼もフロントのみのコンボ。彼独特の前後にスカッフしたりするコンボで、1、2回足を着いたが、無難にまとめた。
 ネイサン ペノンゼック。90秒をフロントの一つのコンボで通した。青系でまとめられたRIGIDはセンスがいい。綺麗にしてるし。BMX歴5年ちょっととは思えない安定感。スティームローラーをベースにしたコンボで、今流行のバーフリップをちりばめて、スカッフィングが少なく、スムースなライディング。
 チャド。フロリダでのライディングの再現を見るよう。けど、前回と違ったのは、ミスが目立った、ということ。朝練習していたけど、調子は良く無さそうだった。
 アンドリュー フェアリス。十八番のデストラックも3回くらい挑戦したけど決まらず、絶不調。それでもヒッチハイカー系もトリックは、なんとか決めたけど、3位以内は厳しそうだ、と言う感じたった。
 2本目。ジェイソン ブラウン。1本目と変わらない内容。時間ぴったりにコンボを終える。しかし、途中足がトップチューブに引っ掛かってしまい、足を着いてしまった。
 マーティ。1本目はあんまりパッとしなかったが、2回目は勝負に出たらしく、かなり難しいコンボに挑戦していた。そのため何回か足を着きつつも、決める度に、アナウンスと、観客のボルテージは上がる!最後にノーハンドペダルローンモアを決めて、観客は大喜び。それでも真ん中くらいかな、と言った感じだった。
 トレバー。文句なしのライディング。フラットランドロボットの異名に相応しい、精密機械のようなライディング。高速カブースからデストラックに入り、そこからGターンしてヒッチハイカーに入るコンボを決め、観客にアピール。あんまカッコイイとは思わなかったけど、迫力で観客を魅了した。ノーミス。トレバーが勝ちをさらった、とだれもが思った。
 アンドリュー。前半は、1本目の失敗を取り戻すように、攻めに攻め、十八番のヒッチハイカーのコンボを決めまくった。ところが後半、スピードのついたハング5から、ノーブレーキでバーフリップを入れようとしていたが、練習では簡単に決めていたのに、全く決まらず。それでも挑戦するのだが、やればやるほどドツボにはまってしまって、最後はかなり頭に来ていて、ランが終わった後、乱暴に自転車を倒してた。
 決勝後、5分くらいで点がまとめられ、出て来た結果は奇妙なことになった。何回か足をついたマーティが優勝して、パーフェクトなランをみせたトレバーが3位。今回のジャッジには、何もしらなさそうなインラインの女の子も交じっていて、なんか、見た目で決められたような感じだった。当然勝ったと思っていたトレバーは、ちょっと不満らしく、3位のトロフィーをバックにほうり込んで、足早に会場を後にしていた。
 ストリートではジョン パーシーがグラインドレールを飛び越えて、地面に着地しようとして、飛び過ぎて観客側のフェンスに脛から落ちて・・・空気が一瞬凍りついた。しかも生で見てしまった僕は、しばらく震えが止まらなかった。
 ダートコースは海岸に土を持ち込んで作られていたが、モロイらしく、板が斜面に敷かれていた。ジャンプも小さく、連続していて、前年のX-GAMEのような迫力が無かった。しかも60人近くのエントリーがあって、1時間も見ているとさすがに飽きて来た。
 それでも、ジェイ ミロンや、ジョー リッチ、トッド ライオンズ、コーリー ナスタッジオ、ライアン ナイクイスト等のランは、やっぱり一味違う。ダージャンの会場には、ストリートや、バート会場よりBMXerが多く、そういった有名所が出てくると、みんなが沸くから、ライダーの方も結構ノリノリでハデにコケたりしてた。
 ダージャン、バート決勝は寝坊して見に行けなかった。雨が降って、スケジュールがかなり変更されて、いつ何の競技が行われるか分からなかったのと、今回、自分がかなり悔いの残る大会だったので、もう大会なんかどうでもいい、という気分になっていたのもある。
 フラットスタントボーイ決勝は、人数が少なかったので、予選なしの決勝1本で行くことになった。そこでホフマンが今回の競技のルールを説明したのだが、何度も言うようだが、英語力が未熟なことで、1分半、1回を、1分半、1分の2回と勘違いして、ちゃんと確認に行けばよかったのに、そのままにしてしまった。
 今回は、調子もよかったこともあって、1本目はセーブして、2本目は全力で行こうと思っていたけど・・・無い2回目のために下らないトリックばかりやって、ハイそれまでよ。不完全燃焼の6位。最悪。この時英語を学ばないといけない、と心底思った。

8 そしてカリフォルニアへ・・・

 くすぶった気持ちを抱えたまま、バージニアを離れる日が来た。乗り換えも含め、7時間かかってLAX(ロサンゼルス国際空港の略)へ。
 バージニアで、今回の旅で、大会に挑戦するのは終わり、と思っていたので、この先どうしよう、と考えつつ飛行機に乗っていたけど、思いつかないままロサンゼルスに着いてしまった。
 しかもカリフォルニアの高い空を思い描いていた僕の前に待っていたのは、低く垂れ込める雨雲。この時期には珍しく大雨が降っていて、不安な幕開け。とにかくリムジンを捕まえて車中の人となった。
 途中渋滞にも引っ掛からず、45分でハンチントンビーチのコロニアルイン ユースホステルに。黄色とグリーンのカラフルな3階建ての綺麗な建物。中に入って行くと、同い年くらいの奴らばっか。フロントの人も、若い女の子。名前はジェシカで、スウェーデンからきていて、もう1年半ここにいる、との事。
 今までの経験から、とりあえず近くの状況をつかまなきゃ、と思って、ジェシカにスーパーとか近くにある?とか聞いていたら、横からJapanese?と聞いて来た奴がいた。こいつはダンといって、1年の休暇をとって、イングランドから来ているダートジャンパーだった。この後色々話すと、『Takeo san』とか日本語の言い方を知っていて、前に日本人の人達が滞在していて、彼らが日本語を教えたらしい。1、2週間もすると、どんどんエスカレートしてきて、『Takeo san maybe ホモヤロウ』とか言い始めて、誰が教えたんだ?と大笑いした。
 ところで部屋はどうする?というので、すでに何人か日本人が滞在していたけど、英語を本気で覚えたかった僕は、彼らと違う部屋にしてくれ、とジェシカに頼んだ。
 早速部屋に行くと、大男が!僕がそう思うくらいだから、190cm以上はあるだろうか。彼はクリスといって、ドイツ人で、映画のテクニシャンと言う仕事をしていると言っていた。彼は自分で何でも作ってしまうし、改良してしまう。ホステルの倉庫に、サーフィンしにくる客が多いから、と言って、サーフィン用のラックは作ってしまうし、ボロボロで、誰も乗らなかったビーチクルーザーも直して、綺麗に塗装してしまうし、彼の車も、郵便局から$800下取って来て、内装を自分で張り替えて、車を全部塗り替えてしまったという強者だ。
 何日かして、このホステルは、いままでの2カ所とは大きく違うことに気付いた。ここに滞在している皆は、1年とか、超長期滞在者が多く、昼間も人が大勢いて、殆ど家みたいな感じだということだ。
 滞在している人種も、多枝にわたり、ドイツ、オーストラリア、イングランド、南アフリカ、スペイン、ブラジル、フランス、ベルギー、スウェーデン、等。それでもやっぱり英語圏の人が多かったかもしれない。でも、前述の通り、長期滞在者が多く、彼らの多くは、違法、合法を問わず、みんな仕事を持っている人達ばかりなので、英語力は非常に高い。中には殆どネイティブと変わらない人もいる。
 さて気になる食生活だが、やっぱり買い食い生活かな、と思っていたけれど、僕の前から滞在している日本人の人に、『ここでそんな奴いないよ。』と言うことで、自炊の仕方を教えてもらった。
 そうしたらなんだかんだ言って、結構ハマッてきちゃって、スーパーにみんなで行って、今日は皆で何か作ろう、今日は俺が作ろうみたく、思いっきり自炊生活を楽しんでいた。日本を出る時、一番の心配事と言えば、飯、自炊だったので、あんなに悩んでいたのがバカみたいだった。
 その他にも、みんなでヤオハンに行ったり、初めてこっちのバスに乗ってみたり、と、今まで、自転車、自転車・・・の生活から、毎日の生活を楽しむ、ということを知った。日本でも、自転車一色の生活だったので、毎日が新鮮な体験の連続だった。ここへ来て、旅から生活へ、本格的な1人暮らしのスタートを切った。
 その変化は、即座に言葉にも反映され始めた。旅から生活にシフトした事で、常に誰かしらいるのと、生きるために、なおなお喋らなければならなくなって、1つコツを覚えた。英語圏の人が使うこの言葉を、僕は逆手にとってうまく利用したからだ。
『How are you doing』
 誰かに会うとみんなそう挨拶するが、その時、『I’m fine』とは死んでも言わず、『I’m out of shape』(調子が悪い)とか、『Too bad』とか言って、話のキッカケを作り、とにかく話を振って、会話をする。
 ホステルだから、短期間しかいない人も大勢いたし、何十人と話しかけていると、同じパターンを繰り返すので、どっから来た、どこへ行く、何しに来た、etcの言い回し、切り返しは、最初の1週間で飽きるほどアタマに叩き込まれた。
 2週目あたりから、みんなの会話の輪に入って、少しずつ会話に加わるように努力した。最初は10~20%位分かれば良い方だったので、夜に、短期滞在者が皆遊びに行ってしまった後、残ってる仕事から帰って来た長期滞在者に、今日なにした、とか、僕らが普段するような他愛も無い話を振って、夜の内に少しずつ言い回し、英語のコツみたいなのを練習、昼に、もう一回会話の輪に飛び込む、という事を繰り返した。
 それも、まァまァ出来るようになってくると、日常の下らない話がつまらなくなって来た。それで次は、長期でいる人に、結構立ち入る話、人生の話みたいな深い話とかをすることで、語彙や、前の日話した人の癖とかを次の日マネしてみたりして、話し方も日に日に、目に見えて向上していった。
 その中でも、いい練習相手になるのが、そんなに英語が上手くない人。(それでも僕なんか比べものにならない位上手いけど。)何故なら、そういう人からの方が、話し方のパターンが少ないので言い回しを盗みやすい。さっき話しに出たルームメイトのクリスもドイツ人で、そんなに英語が上手くなかったので、最高の練習相手だった。
 でも、最後まで苦しんだのが、電話。基本的に、『誰と喋りたいの?』と言えばいいのだが、何度聞いても分からない時は、まわりにいるネイティブにバトンタッチ。
 何回も挑戦していたら、みんなも面白がって、『ヤス、電話だぞ。』とワザワザ取らせてくれたり、こっちが汗だくになって、必死に答えているのに、回りの皆に、『モシモシ?』とか言われて、茶化されたり・・・でもかなり燃えた。
 それでも、ちゃんとメッセージを受け取れることもあったし、滞在も、最後の方になって、80%くらいは、電話の受け答えに成功するようになった。
 日常の方も、時間の制約が無い筈なのに、毎朝8時にはパッチリ目が覚めて、ビーチに練習に行ったり、さっき話に出たダンとかのライディングを、シープヒルズや、ヒドゥンバレーとかに見に行った。
 平日も夕方になると、コーリー ナスタッジオとか、ブライアン フォスター、アラン フォスター、ショーン バトラ-等のプロライダー達が、ポツポツと乗りに来た。喋り半分、乗り半分みたいだったけど、一つのジャンプに3つのトリックをいれて、しかも易々と決めて行くのを見て、あープロなんだ、と改めて思うのだった。
 あまりにも色んなスポットが身近なので、これは現実なのだろうか、と思ってしまう。シープまで自走で20分、ヒドゥンバレー(RIDE BMXの表紙で、コーリー ナスタッジオがX-UPを決めているあの写真の場所が、そう。)まで10分。このホステルに限らず、フロリダでも、バージニアでも、自転車に関係する所が近かったのは偶然か。 そんなこんなで、最初の1カ月は瞬く間に過ぎ、英語の伸びが鈍って来たのに併せて、毎日がだんだん退屈になってきてしまった。これではいけない、と思っている矢先、日本にいる時に、本で調べて、アメリカにはタダか、または殆ど授業料のかからない学校があるという事を思い出した。それを探しに図書館に行ってみたら、(ハンチントン)ビーチからバスで15分位の、公園の中にあることを突き止めた。
 その日の内にプレースメントテストを受けに行って、月曜から金曜の朝8:45から昼の3:30まで、アダルトスクールと呼ばれるその学校に毎日通った。
 ところが日本人はグラマーが出来る。5段階あるうち、一番上のクラスに入ってしまい、最初の1週間は、死ぬ思いでついて行った。それでも臆せず質問をするうちに、みんなとも仲良くなり、休み時間に雑談をしているうちに、さっき、自分と近いレベルの人と話す方が、勉強になると書いたが、そのとおりで、また急激に英語力が磨かれて行った。
 この1カ月は、本当に勉強した。生まれて初めてこんなに勉強した。この学校には、ちょうどこの時、ルームメイトになった真下さんという日本人の人と一緒に通ったのだが、この人がホステルに来たとき、僕が通訳しなきゃだめだった位、英語がだめだったのに、朝、僕と一緒にこの学校に行って、帰って来て、また別のところにあった小学校にあるアダルトスクールに夜の9時まで通って、更に夜中の1時2時まで復習をして、という、僕も頑張ったけど、ついて行けなかったくらいのハードさで頑張って、たった1週間で、1人で会話が出来るレベルにまで成長した。
 これにはかなり驚いたし、凄く僕にモチベーションを与えてくれた。この人も、やっぱり仕事を辞めて、人生最後のワガママ、と言う気持ちで来たらしく、気合が違った。ここで自信をつけた真下さんは、この後1人で、バスでカナダまで行ってくる、と行って旅だって行った。本当にすごい人だった。
 ところで、アメリカの学校に行ってみて思ったのは、質問をした時に、先生が即答してくれることだ。日本だと、『後でね。』とかいわれて、その後の話しが理解できないまま、聞かなくてはならなくなったりするし、いざ質問をしても、その説明が何を言っているかもっと分かんない事が多い。多くの場合、質問していい、となった時に、何を聞きたかったか、忘れてしまう。
 英語が母国語の学校は違う!僕もメキメキと英語力を上げて、お陰で滞在後半になって会ったプロフラットランダー達、ブライアン ターニー、ルービン カスティロとかとかなり話せて、色々興味深い話も出来た。
 1年前にハンチントンビーチに来た時には、ルービンの話していることが全然分からなかったのに、今回は100%分かって、この時は学校というものの有り難さ、を初めて実感した。日本で16年間、学校に行っていて、そんな事、露とも思ったこと無いのに、勉強というものはこういうものか、と今更ながら、改めて知った。
 そのルービンとはビーチで会った。彼のデザインしたSHOWは、非常に高価だけど、何で?と聞くと、トップチューブのベンドをつけるのは、材質がアルミだと非常に難しいという事と、BBまわりの溶接は見た目かなり複雑だが、その通り、溶接技術も最高難度を求められる、ということだった。全部MADE IN USAらしい。
 それから、ライディングに対する姿勢も聞いた。もう14年もBMXに乗っているけど、今でもベーシックなトリックに取り組んでいて、それは、チェイスとディランの影響が大きいと言っていた。そして、諦めずに難しいトリックに挑め、とアドバイスしてくれて、俺ももう2年近くやっているけど、出来ないトリックがある、ということを聞いた。
 余談だが、マリファナはトリックを向上させるのに役立つ、とも言っていた。でも、ジャイロケーブルの2本のケーブルを1本にする部分をパイプにしていたのは笑えた。沢山話して分かったことは、彼は思ったより、哲学的で、マジメな奴だ、ということだった。
 ブライアン ターニーとは、やっぱりビーチで会って、最初全然喋らないで、一緒に練習していた。ところが彼がパンクしてしまい、パンク修理セットを貸してあげたんだけど、上手く出来無いみたいだったので、僕がやってあげたら、すごく恩を感じたらしくて、チャドのポストカードや、プロップスのシールをくれたりした。
 次の日、GTの奴らがショーに行ってしまうので、どっか泊まるところは無いか、というので、それなら俺の泊まってるユースに来いよ、という事で、それから2日間行動を共にした。
 彼は、プリモで働いたり、大学でジャーナリズムを学んだことを生かして、外国のBMX雑誌や、RIDE BMXに寄稿したりして、生計を立てている。それもあってか、常に物を注意深く見ていて、10mくらい先の10¢コインを見つけたり、(関係無い?!)あ、誰それがなんかしてる、とか、とにかく、よく物を見ている印象だった。
 彼がユースホステルに泊まりに来た丁度その時、独立記念日の真っ只中で、町中バカ騒ぎの中、ブライアンが、ビデオに出てくる名所巡り(?)をしてくれたり、ビーチや、ハンチントン高校のテニスコートで乗りまくって、夜はホステルの皆とバーに繰り出したりした。
 それまで、普段しなかったことをしまくった2日間は、すごく密度の濃いものとなった。たった2日間だったけど、その短い時間で分かったことは、凄く義理堅い奴で、日本人っぽい性格だった、ということだ。飯を食おう、という時も、ベジダリアンだと言うので、サラダを分けてあげたりしたら、僕が飯を作り終わるまで食べるのを待っていてくれた。 最後の日も、メインストリートで待ち合わせしていて、友達が車で拾いに来るからと、と言うので、見送りに行ったら、約束の時間を過ぎても、その友達というのが現れない。シビレを切らした僕は、『ちょっと買い物に行ってくるから、30分したら戻るよ。でも友達が来たら行っちゃっていいよ。』と言い残して、30分後戻ってくると、まだ待っている。『まだ来ないの?』と聞くと、いいや、もう来ているけど、ヤスが、30分したら戻ってくると行ったから、待っていた、と言う。アメリカ人でもこんな義理堅い奴もいるんだ、と思った。
 学校でも沢山の友達が出来た。移民のための学校なので、みんなの国籍は色々だけど、みんなグリーンカード(永住権)を持っていて、初めてグリーンカードというものを見せて貰ったりした。表に”WORKING PERMIT”と書いてあって、免許証の様に写真と、生年月日が書いてあって、裏はミラー状になってた。大きさは免許証サイズ。彼らの国籍は、ブラジル、ベトナム、韓国、台湾、トルコ、スペイン、チリ、コロンビア等。国際色豊か。
 彼らの中でもこれから学校に行く、という人もいれば、アメリカ人と結婚している、という人もいて、多種多様な理由から来ていた。そんな恵まれている彼らでも、アメリカで働くのはかなり難しいらしい。グリーンカードを持っていて、経済的にもそんなに苦しくないハズなのに、大変、ということは、イリーガルで働いているユースの人達は、それだけ凄い技術なり、なんなりを持っている、ということになる。しかも、みんなに聞くと、時給$10とか$15とか平気で取ってる。日本円で¥1400~¥2000近くになるだろうか。かなりの稼ぎだ。どーゆー事なんだろう。
 でも確かに、みんなの英語は、学校に行っている訳じゃないのに、ホステルにいる長期滞在者は、一番下手な奴でも、学校にいる誰よりも上手い。この章の冒頭に出て来たジェシカも、ほとんどネイテイブと変わらないし(ブライアン(ターニー)が、カナダ人と間違えた位。)、英語で夢を見る、と言っていた。
 他の皆も、かかっても半年で、ニュースが言っていることも分かるようになって、新聞も読めるようになった、と言っていた。みんな、『お前もそのペースなら、半年でそうなるよ。』言ってくれたけど、それだけ優秀なアタマを持っているか自信は無い。
 やっぱり、みんなみたいな長期滞在者が、金が尽きたら生きて行けない、とか、真下さんみたく、人生最後、と言う切羽詰まった状態が、上達を速めている気がした。人間、ネガティブなエネルギーも重要かもしれない。僕も、彼らに比べれば、全然深刻ではないが、自分の金を使っている、という思いが、少しは上達を速めたのかも、と後になって思ったりした。

9 そして日本で。

 そんなカリフォルニア滞在は、大学に行っていた時より忙しく、充実していたけれど、やっぱり帰る場所は日本にある、と感じた。帰って来て、前の旅のときは、暫く道路が狭い、とか、車が小さい、とか物質的に色々感じたけど、今回は、そういう事に関しては、特に何も思わなかった。
 しかし内面的には、言葉も前回とは比べものにならない位上手くなって、コミュニケーションがとれて、人種の坩堝の中にいた、ということで、人間は人間、という感じが、無意識の中に植え付けられたのでは無いか、と思う。
 ユースホステルにいる時には、出身国より、その人自身の性格、人柄が問題であって、僕が人間関係で、常識と思っていることは、やっぱりみんなに通じるし、~人だからこう考えるのか、と思った事は、皆無に等しかった。
 次また行く時に、何を得られるか、何を目標にして行くか、まだキッチリとは決まっていないけれど、フロリダで孤独の辛さを痛感して、何がどうであれ、人は、人と接していかなければ生きて行けない、ということだ。
 ところが、人間関係に恵まれていたカリフォルニアで、深い人間関係を築いた後、逆に人は1人で生きて行かなければならない、と思い直させられた。これは矛盾しているようだが、1人で生きて行く、ということは、孤独でいる、ということではなくて、僕なりの解釈をすれば、どこででも友達が作れる、どこへでも1人で行って、そこに溶け込める自信、だと思う。 その自信が、寄り掛かりや、媚びの無い、独立した人間関係をもたらす、と思う。あれだけ別れが日常的な世界で、それを自分に納得させようと思ったら、そうなった。
 僕も正直な話、カッコよくその考えに辿り着いたのではなく、幾多の別れの中で、すごく仲良くなっても、あー、もうこの人と2度と出会う事は無いだろう、という寂しさから逃れるのに、どう自分を納得させられるだろう、と試行錯誤の末そう思ったのであって、10人いれば、10人の理屈がある物と僕は思う。
 そして、最も大きなエネルギーを生み出すのも、人との繋がりだ、ということ。今回英語を勉強したい、と思ったのも、コミュニケーションのトラブルだったし、今回得たもので、一番大きかったと思うのは、モノではなく、友達だし。少なくとも、僕にとっては。
 そういう訳で、人、がこれからのテーマになってくると思う。どうテーマになるかは分からないけど、旅は人を大きくしてくれる場であることは間違いない。この旅行記が、そういう興味を持つキッカケになってくれれば幸いだ。これを読んでいる人達は、みんなBMXerだと思うけど、もっとBMXを通して、何かを得て行ければ、と思う。
 最後に、今回また旅行記を書かせてくれたDig-itの皆さんに感謝します。それでは、また次回、いつになるか分かりませんが、その時にまたお会いしましょう。さようなら。