金田諦晃インタビュー

Encounter Vol3に掲載された金田諦晃のインタビューです。

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「なにか手伝えることはありませんか?」2005年、福島。BMXフラットランドの全日本選手権、KOG会場設営中の自分たちに声をかけてきた中高生とおぼしき若い3人組。その中の細身で長身の少年が、金田諦晃(かねたたいこう)だった。数年後、大学に通うために上京してきた彼は、瞬く間にコンテストシーンで頭角を現わす。スケールの大きなリア系トリックを武器に、KOGプロライダーとして活躍するようになって間もないある日、「諦晃はチャリを辞めないといけないらしい」という話を人づてに聞いた。寺の長男である諦晃は、大学卒業後に寺を継ぐため、山での修行に入るという。いったん修行に入れば自転車はおろか、外界との接触さえも制限された生活をすることになる。今年2月から福井県の永平寺で修行生活に入った諦晃に、昨年末行なったインタビューをお届けしよう。

Words: Yasuyuki Takeo, Photos : Yasuyuki Takeo, Yuta Yoshida

 


ライダーから、僧侶の道へ。


 

生年月日、ライディング歴を教えて

1989年5月13日生まれ、ライディング歴は10年近くです。

実家の寺を継ぐために、来年から僧侶になる修行に出るって話だけれど、将来の選択は自分の意思でできないものなの?

世襲が基本なんです。継がない人もいるんですけど、長男が継ぐってパターンが多いですね。

実際僧侶になるのがイヤだなって思うことはなかった?

最初は寺の長男という理由だけで、義務的に僧侶になることにも不安がありました。信仰心は自分のなかから生じてくるものだと思うのですが、世襲で僧侶になることを決められている自分は、信仰を強制させられている気もする。実際、信仰心があるとも言い切れないので…。なんか、それじゃあ偽物の僧侶みたいでいやだなとか(笑)。
今も悩んでいます。寺を継ぐとなると、檀家さんや親の期待を感じたり、職業柄人の死に関わることが多いことなど、自分にとって「荷が重いな、いやだなぁ」と思うことが多かったです。自分が僧侶として寺を継ぐということを真剣に考え出したのは、大学に入ってからだと思います。大学で仏教に関する勉強をしたり、 僧侶たちとの付き合いが増えて、修行道場に行って……。
色々悩みはありましたが、心のどこかで僧侶になろうという気持ちがあったのは、親の生き方にあこがれていたからかも知れないです。活動的で人望も厚く、遊び方も天才的で(笑)この人には追い付けないなぁと思うことがよくあります。そんな親を見ていると僧侶の仕事は“色んな悩みにぶつかる中で、人間的に成長する事”だと思えるので、やりがいはあると思っています。今の自分の僧侶になることについての悩みも、自分の成長の糧と思いたいです。

 


ガンジス川で感じた生死観


 

昨年インドに行ったらしいけど?

「仏教発祥の地だし、僧侶になるなら一度は行ってみないと」って軽い気持ちで行って苦労しました(笑)。1人旅で最初は楽しい旅のイメージだったんですが、言葉が通じないし、食べ物はおいしくないし、気候は暑くて乾燥していて、汚くて、臭くて。2週間ほど滞在していたうち最初の3日間くらいはよかったんですけれど、日が経つにつれて旅の新鮮さがなくなっていき、生活感が出てきてからはツラかったですね。
インドの東から西ヘ。カルカッタからブッダガヤ、バラナシ、アグラ、デリーまでの都市を電車で移動して、デリーから飛行機で日本に戻ってきました。インドの列車ってよく時間通りに来ないって話があるんですよ。普通に半日こないとか。だから、ちょっとビビっていたんですが、実際は長く待つことはなくてほぼ時間通りでした。宿は各駅に着いてからその場で探すんですが、駅を出ると必ずリキシャ(人力車)が「俺がホテルに連れてってやる!」って、わーっと寄ってくる。それに連れていかれたらマトモなホテルには行けないと聞いたので、リキシャには乗るけれど「街のどこそこに連れてってくれ」とお願いして、そこから歩いて宿を選んでいました。『地球の歩き方』を持って行きましたが、載ってない宿もたくさんあったので、逆にそういうところに泊まりました。

いくらくらいで泊まれた?

相当安かったですよ。1泊200ルピーだから400円くらいですか? 超安いです。ただしめっちゃくちゃ汚いし、シャワーは水ですが。

インドでいちばん強烈だった出来事ってなんだった?

ガンジス川では、ボロボロになった遺体が流れていく火葬場のすぐ横で、当たり前のように洗濯をしたり、シャンプーしたり、歯を磨いたりする人たちをたくさん見たことです。ボートに乗って川を渡ったのですが、その横を遺体が流れていったときは鳥肌がたちました。川岸では死体を焼いているし。あっちの人って死体があっても驚かないし、怖いっていう意識もない。それを見て帰ってきていたので、今回の東日本大震災ではたくさんの人が亡くなりましたが、ガンジス川のほとりとイメージが重なって、自分のなかで人が亡くなるということに関する感覚が今までと変わっていたようでした。
日本では、人の死を身近な所で感じることが少ないし、遺体は近寄りがたいものといった感覚があると思います。でも彼らは全然死体を忌み嫌うというか、避けている様子がありませんでした。それまでにインド人の生きる力というか、強烈なパワーを感じていたこともあって、人の生と死をあからさまに感じて、人のありのままの姿を見 れた気がしました。知識とか地位とかいろんな概念を取り払った、もっとも直観的な人は生まれて死ぬんだ、といった感覚です。そういったことから、死を見る 感覚もですが、もしかしたら、生きることの感覚も変わったのかなとも思います。

生きることの感覚が変わったってどういうことだろう?

日本では、仕事の種類や地位、財産、名誉などに価値が見出されていて、これらが豊かな生活、安定した生活の基準になっているように見えます。社会で一人前として認められるために、下積みや、自分なりの戦略を立てて、世のなかを上手に渡っていかなければならない。そのためにどう生きていくかとか、自分探しの旅に出るといった、自分の生き方の方向性を考えなければいけないという空気が、今日本にあるように感じます。
でも人の営みすべてが命あってのものです。死や病気が訪ればそうした価値は一瞬にしてなくなる。人は社会の中で生きている以前に、地球や自然のなかで生きている。自然災害や環境問題は社会の動向とか、人間の意志に関係なく襲いかかってきます。社会のなかで価値があるとされているものがちっぽけなものに思えるし、そのなかで発見した“自分”も不確かなものに感じる。“人間が決めた社会での価値”への執着を取り払ったところに、もっと根本的な大事なもの、価値が見えてくるんじゃないのか? 大切にしなければいけないものが他にあるんじゃないか?と、自分に問うようになりました。生きることの感覚が変わった、ということははっきり自覚できていませんが、自問のなかでさまざまなものに対する価値観が今までと少し変わってきたことだと思います。

 


僧侶として生きていく、覚悟が決まった東日本大震災


 

3.11の大震災の後には被災地へも行ったんだよね?

地震と津波で犠牲になった方があまりにも多くて火葬が間に合わず、火葬場が機能している内陸部にもたくさんの遺体が運ばれていました。「火葬だけをするわけにはいかない」という思いから、毎日5人くらいの僧侶が簡素ではありますが、ボランティアとして火葬場で供養を行なっていました。僕も何度か父親について行きましたが、中には家族の死が受け入れられない遺族もいて、本当に気が狂ってしまったんじゃ ないかと思うくらい泣いている人もいました。それを見ていて、自分も相当落ち込みましたね。僧侶たちも精神的にかなりきつかったようで、とくに若い僧侶はすごく疲れがたまっているように見えました。供養ボランティアが落ち着いてきた後は、海岸沿いの被害が大きかった地域を、僧侶たちが袈裟(けさ)をまとい経を唱え歩く行脚が行なわれました。
さらには傾聴活動と言って、被災者の心のケアをする活動にも従事しました。でもたいていの人はツラい記憶や自分のことを話したくないようで、僧侶たちもどうすればいいか悩んでいました。そのうちポツリポツリ、ツラい体験など色々話してくれる人も現われました。この体験から、被災者の方たちが大変な思いをしてきたのを実感しました。

僧侶として、「こうした災害において担える役割」は見えたりした?

僧侶たち自身もこれ程の大災害を経験したことがなくて、「何をしていいのかわからない」というのが正直なところでした。僕らはそれぞれに属している教団などがあるんですが、それらからも具体的な指示はないので、年配の人も同年代の人も自発的にいいと思うことをやるしかないという状況にあり、自分自身も色々考えさ せられました。自分としては傾聴活動などで被災地の方々の力になれることもあると思いました。
供養の現場も見ていて、僧侶がいるかいないかでご遺族の反応が違うこともよくありました。そういった儀式があるだけで、遺族の方々が事実を受け入れる助けになっているように感じました。よく『葬式仏教』とか陰口を言われたりするけど、葬儀を持つということは大事なことなんじゃないかなって感じました。

 


BMXは1曲の音楽、ストイックに技を追及する楽しさ


 

11月のUnder23は修行に入る前の最後の大会だったけれど、決勝まで行って(伊藤)悠樹に負けたときにどういう思いがあった?

これまで大会に出ても、2位が自分の最高位なんで、最後は優勝で締めたらカッコいいなとか思っていました(笑)。勝つ気で臨んで最終的には2位でしたが、後悔はあまりなかったです。KOGでもたくさんの声援を受けましたが、今回は長くBMXをやってきて、いちばん応援を感じた大会だったなぁと。それでなんかお腹いっぱいな感じでしたね。今がいちばん、チャリやってて幸せだなぁと思います。

KOGプロになってなにが変わった?

KOG でプロに上がって2年くらいたちますけれど、モチベーションがすごく上がりました。プロになった瞬間、目標を達成した気持ちはありましたが、そこからはプロクラ スに出続けなければいけないってプレッシャーで、練習の仕方も変わりました。プロはお客さんに見せる感じがありますよね。エキスパートであれば自分の技を決めることだけに集中してればいいですが、プロになったら会場の空気感を掴めないとプロっぽく見えないなぁって (笑)。ショーや人前で乗る機会があれば、常にそこに気を配っているつもりです。
BMXの業界ではプロという肩書きは尊敬されるので、スクールとかやるときにハクが付くっていうのはありますね。プロに上がってからiPathなどのスポンサーがついてくれたのもうれしかったし、バイシクルクラブの『How to』企画だったりとか、いろんな雑誌の撮影の仕事が頂ける機会が増えたのは大きかったです。

「KOGでの目標」みたいなものはあったりする?

チャンピオンを目指すのは途中であきらめました(笑)。ウッチーさん(内野洋平)やモトさん(佐々木元)、マティアス(ダンドワ)とか、本気で職業としてのBMXライダーである、もしくはそこを目指している人たちのなかで3位に入れたとしたら、ガッツポーズって感じです。
ただ勝ちを狙いに行ってなくても、観客の印象に残って欲しいという気持ちはあります。だからそこそこの技はやりたくない。出るからには映像とかでやってるレベルの難しい技や、新技を見てもらいたいと思っています。

タイコウにとってトリックをチョイスする基準ってなに?

初めは「人よりスペースを使って乗りたい」って気持ちがありました。リアトリックは体も立つし、手も広げればデカく見える。次に「ルーティーンの構成で見せよう」って考えになって、最近はまた変わってきた気がしますが。3、4年前のビッキーやマティアス、ほかの外国人ライダーは1つのルーティーンになんでも突っ込む的な印象があったんですけど、自分としてはもっと“1曲の音楽”みたいにイントロがあって、盛り上がって、終わる、という起承転結がつけば、見る人にも覚えてもらえるのではないかと思いました。そういうルーティーンを何個か作り続ければ、自分のスタイルになるんじゃないかと。その第2段階に至るまでは相当研究しました。映像を見まくって、プロのなかでも上手い人たちのたいていのルーティーン、トリックのやり方は頭に入れました。
今は第3段階で、バックワーズのスピンの圧縮系というんですか? タメを作らず、漕がずに3つ4つの技を畳み込むというのを、リアでノーブレーキでやるのを目指 しています。それはまだ開拓されていない分野だし、誰も追いつけないような領域にいけるんじゃないかって思うんです。

KOGプロライダーでもあるマークン(狩野雅俊)とは地元も一緒で、長く乗っている仲だと思うけれど、彼との関係について聞かせて。

BMX を始めて1年くらいは同じ技を練習してきたんですが、自分は門限があったしマークンの方が運動神経もよくて、練習しててスキルに差が出てきてしまいました。 それで、自分はリアに転向したんです。大会では、出るたびにお互い順位を意識してきました。高校に入ってからはお互い離れて練習してたんですが、「練習休んだらマークンに負ける、たくさん練習してマークンが出来ないトリックを覚えよう」と、周りの友達が飲みに行ったりゲーセンに行ったりするのを横目に僕(僕ら?)はひたすら乗ってましたね。マークンと遊びに行くにしても、まずはチャリに乗ってから遊びにいく。後は一緒に大会行ったりとか、ライダーとしての付き 合いが中心ですね。

マークンは別として、同世代で意識するライダーは誰?

堺優貴です。BMXを始めて4年位経つまで会ったことがなくて、名前もよく聞くし、自分と同じリア系で近い動きをしているのを映像で見て相当気になっていました。会ってみて「ヤバイ。負けないように頑張って練習しなきゃ」と思いました。今見ると、技は似ていても乗り方は全然違うので、次に生み出す技も違ってくるだろうし、今はライバルというより「次どんなのやるんだろう」って期待して見ています。

仙台のシーンに関してちょっと教えて。

ing の店長の(太田)ヒサシさんが中心になって大会などを運営していて、その中でスクールをやったりしています。そうした方法で活動を続けて、人が増えていったらいいなと思っています。ingはみんなの拠点ですね。ただ新しい人が全然定着しなくて、ローカルは全部で10人くらいですかね。

映像とかやってるの?

YUKIPKO Projectって聞いたことありますか? 俺とか比嘉拓也がたまに出演させてもらっているビデオで、“自分らのライディングを何かの形で残そう”と、撮影・編集ともに(伊藤)悠樹が担当しているプロジェクトです。彼は音楽もよく知っているし、映像もよく見ているので作るのが上手いです。自分もプロモーション映像的なものを作ってもらいました。後は自分を撮影して、客観的に自分のライディングを修正したり、トリックを没にしたり(笑)、持ち方変えたり、色々試行錯誤してイメージにあうのだけ を選んでいきます。

自分で自分を編集していっているわけだ

自分に合う曲とかもわかってきますね。今のお気に入りは『El Ten Eleven 』です! Ground Tacticsでも使ったし、KOGのライディングのときも流してもらいました。ちょっと緩めの曲のほうが乗れますね。

同世代のライダーに伝えたいことってある?

フラットライダーは“大会に勝つために、技術を磨くために乗る人”か、みんなが集まる場が楽しいからチャリを持って“遊びに来る人”のどちらかという印象が強いです。自分はプロを目指してストイックに乗ってナンボ、みたいなパターンだったんで、ひたすらチャリと向き合ってきました。それぞれ自転車への関わり方があるから一概に「こうするべき」というのはないです。けれど、スクールに来ている生徒で、チャリを持ってきていてもみんなとワイワイやるのがメインの人がいます。仲間との関係は本当に大切だけれど、せっかく自転車を持っているのだからチャリを操れるようになる楽しさも味わってもらいたいなと思います。技が1個できた感動は、また違う楽しさです。
チャリをある程度操れるようになってくると、1人で乗っていても楽しめます。でもそれだけじゃちょっと寂しい。大会とかジャムとか、みんなと 乗る機会があるときは積極的に参加したほうがいいですね。いったんライディングから離れる自分からすると、そんな風にみんなと過ごした時間のことを思い出します。